糖心破解版

令和8年度東京大学学部入学式 総長式辞

令和8年度东京大学学部入学式 総长式辞

みなさん、本日は东京大学へのご入学、まことにおめでとうございます。

みなさんはこれまで、中学校?高校などで多くの教科书を読み、さまざまな「知识」を吸収してきたと思います。それらのどの一行も、过去の多くの先人たちが探究して発见し、あるいは仮説を立て、ときに実験や试行错误をへて検証し、知识として共有されたものです。知识を体系的に使いこなして、适切な解决を生みだす「知」としての科学は、人类が世代をこえて积みあげてきた知恵の结晶です。东京大学は、まさにそうした「知」の创造を使命としてきました。

だからこそ、みなさんには、ここ东京大学において、蓄积された知识を学ぶだけではなく、自らの力で「新しい知を生みだす」存在へと成长していただきたいと思います。知识を情报として受け取る学びから、世界がまだ知らない、あるいは探られていない知を创り出す歓びへと、その一歩を踏み出してもらいたいと愿っています。

「新しい知」が生成するメカニズムについて、今日は「原点」と「座标轴」の组みなおしという観点から読み解いてみましょう。

「知」は、书物や教科书に书かれた、あるいはネットで调べることができる、単なる情报ではありません。もっと総合的で主体的なものであり、あるいは「知恵」といってもよい、実用的で活き活きとした动きを有するものです。

私たちが日々何気なく口にしている调味料もまた、何世代かの试行错误と创意工夫の末に生まれた、生活の知恵の结晶です。たとえば、日本の食文化を代表する「醤油」も、その歴史をふりかえると、そこに新しい知の诞生ともいうべき、イノベーションの连锁を见出すことができます。

江戸が都市として発展してきた初期は、长距离を远くから运ばれてくる上方产の下り(くだり)醤油しかありませんでした。味も品质も优れていましたが、味噌や塩に比べてたいへんに高価であったため、庶民にまで広くは普及しませんでした。しかし江戸时代も中期になると、関东の野田や銚子の地で浓口醤油の本格的な製造が始まり、やがて利根川や江戸川の水运を活用して、この新しい醤油が大量に江戸という都市にもたらされるようになります。

醤油の香りと成分が、鱼の生臭さを抑え旨味を引き立てることで刺身が発达し、握り寿司のようなファストフードが生まれます。山椒味噌焼きで食べていた鰻に、照り焼きという醤油ベースで甘く仕上げる技法が発明されることで「蒲焼き」が话题の商品となり、また天つゆで食べる天ぷらが定着していきます。

町にはファストフードの屋台や、新しい料理店が并んで外食文化が発展し、いわゆる「和食」を代表するような料理が确立していきます。そのきっかけとなったのが、醤油の普及でした。醤油の製造地という「原点」が日本の西から东へと移动することで、新たなイノベーションが创りだされたのです。

モノの流通に関わるネットワークが新たな「原点」をはぐくみ、イノベーションを生みだした例も、歴史は教えてくれます。和食の旨味を支えていた昆布もまた、交易のネットワークがインフラとなって、新たな文化が成熟していった好例でしょう。

大阪と北海道を日本海経由で结んだ「北前船(きたまえぶね)」は、上质な昆布を西日本各地にもたらし、それがたとえば大阪で塩昆布に加工されて名物となり、冲縄に及んでクーブイリチー(昆布の炒め煮)という郷土料理になりました。逆に北海道にもどっていく北前船が、関西の都市で不用になった木绵の古着や端切れを东北の寒冷地へと运び、その土地で「裂织(さきおり)」などの伝统工芸を生みだす「原点」となったことも、同じ现象の里表だと考えることができます。

このように、私たちの日常文化のなかにも、新たなインフラやネットワークが可能にした「原点」の形成や移动として、その発展、成熟、洗练を理解できるものが多くあります。新しい道具やデバイスの诞生が、文化と产业の「座标轴」を连锁的に生みだす现象は、现代でも见られます。

私たちの生活を支えるスマートフォン関連技術は、その典型でしょう。2007年1月、Steve Jobsが初代iPhoneを発表して以降、スマートフォンという新たな土台の上に、世界中の開発者がじつに多彩なアプリケーションを数限りなく生みだしました。そして道案内や支払いなど、日常生活のあらゆる場面で私たちを支えています。

スマートフォンは、写真を撮り、言叶を添え、瞬时に见知らぬ人びとと共有するという、开発当初は想定していなかった行為を私たちの日常の一部にしました。そうした视覚の共有と考察?批评の组みあわせは、现代における多くの流行や文化の新たな「原点」となり、それまでにない作品制作の「座标轴」となりました。视覚のみならず、音声をふくむ动画の共有もまた、新たな「原点」となっています。そこにおいて、多くの才能あるアーティストが见出され、その活动が広く世界に知れわたる「座标轴」となっています。

この构造は、江戸时代に出版技术の向上と日常への普及が、世の中を自由気ままに讽刺し、笑いあう「川柳」文化の発展を支えた歴史と、じつはよく似ています。

通信や交通、情报共有の手段であるインフラの进化が「原点」となって、新しい食べ物や着物や文化が创造される。そこで、新しいベクトルをもつ「座标轴」が形成されて、新たな料理や作品が生まれる。それが、さらに次の「原点」となっていく。このような「知」を生む连锁は、歴史のあらゆる场所に见出すことができます。逆にいえば、この「座标轴」の组みなおしこそが、新たな「原点」の発见であり、そこに新しい「知」を创造するためのヒントが隠されているのではないでしょうか。

惊くべきことに、この「原点」の认识と「座标轴」の组みなおしを、私たちの「脳」は日常的におこなっています。それは「主観」と「客観」の切り替えというふうにも、とらえることができる、柔软で可能性に満ちた脳の机能です。

たとえば、空間認識をつかさどる海馬には「場所細胞」とよばれる神経細胞があり、A地点からB、Cへと歩くと、それぞれの場所に対応する細胞が順番に活動します。私たちの脳の中には、すでに空間の地図が描きこまれていて、場所細胞の活動とあわせて自分が空間内のどこにいるのかを認識しています。このしくみを解明したUniversity College LondonのJohn O’Keefeらには、2014年のノーベル生理学?医学賞が与えられました。

明らかにされた脳のしくみは、二つの异なる座标系を用いて世界を把握しているというものです。一つは「自分から见て対象がどこにあるのか」といった、自分を原点とした主観的なエゴセントリック座标です。もう一つは、空间全体の中で「自分がどこにいるのか」を示す、骋笔厂のような客観的なアロセントリック座标です。

脳は、これらの二つの座标系を柔软に切り替え、あるいは重ねあわせながら用いることで、豊かでしなやかな空间认识を可能にしています。いいかえれば、私たちは日々の生活の中で、知らず知らずのうちに「原点」を定めなおし、「座标轴」を组み替えながら、世界を理解しつづけているのです。

物理や工学の世界でも、よく似た考え方が用いられています。

流体や物体の运动を记述するとき、空间における一点一点の様子を见る「オイラー座标」と、流れに乗って动く一粒一粒の物质を追いかける「ラグランジュ座标」という二つの见方があります。前者は、いわば空间に固定したカメラで対象の动きを外侧から眺める客観的な视点、后者は対象にとりつけたカメラで动きを内侧から追う主観的な视点にたとえることができるでしょう。

ロボットのことを考えてみてもよいかもしれません。ロボットが目の前の障害物を回避するだけであれば、必ずしも作业空间全体の地図を必要としません。しかし、「この荷物をあの建物の3阶まで运びなさい」といった仕事を任せようとすれば、地図や目的地といった知识の体系が不可欠になります。生物も同じで、単纯な行动だけであれば局所的で主観的な情报でも足りますが、高度な行动や社会生活を営むようになると、「世界の中で自分がどこにいるのか」という、より大きな座标系を持つ必要が生じます。

数学における「0」という记号も、この座标系の発想と深く结びついています。「0」の発见とは「何もないこと」を表す记号を、位取り(くらいどり)や演算规则の原点に位置づけることでした。原点と座标轴を定めることで、私たちは物理世界のあらゆる点を数値で表し、その位置を比较し、その动きを议论できるようになったのです。

主観と客観という相互に补完しあう座标系は、空间认识だけでなく、过去や未来といった时间认识や、社会や人间どうしの関係认识の中にも同様の构造を见出すことができるでしょう。

みなさんも、すでにさまざまな「原点」と「座标轴」を背负って、ここに集まっているでしょう。高校では、これまで比较的わかりやすい评価轴で、学んできたかもしれません。しかし、大学生活では自分の中にある「原点」と「座标轴」を意识的に选びなおし、ときに组み替えて、学び方をデザインしなおすことが大切になります。

東京大学では、大学一?二年生の前期課程で幅広い教養を学び、三?四年生の後期課程で高い専門性を身につける「Late Specialization」という学習形態を基本にしています。その一方で、ある程度の専門性を身につけたうえで、それを相対化しつなぎ変える「Late Generalization」のための後期教養教育も重視しています。いずれも「原点」と「座標軸」を組みなおすことで、分野に閉じない広がりを持つ「知」を創りだしてもらいたいからです。

もちろん、原点も座标轴も、世界を理解するための一つの补助线にすぎません。それが唯一絶対の基準のように振る舞いはじめれば、私たちはその基準にとらわれ、高い评価を得ることを目标にしがちです。ほんとうの意味での探究ではなく、その座标轴に适応するだけの思考に缚られてしまいます。世の中で使われている物差しを相対化し、自らの言叶で世界を测りなおす力を持つことが必要です。それは、まさに「原点」を创りだすことにほかなりません。

そのためには、みなさんの隣に座っている未来の仲间たちとの対话が重要になります。诚実で真剣な対话において、私たちはつねに「自分の视点」と「他者の视点」という二つの座标を行き来することになるでしょう。世界に存在するさまざまな対立や分断も、私たちの身近にあるダイバーシティやインクルージョンをめぐる课题もまた、异なる主観同士のあいだで距离を测り、互いの座标系を行き来しながら、あるべき世界を创りあげていく、そうした営みによってこそ、解决の道が开かれるのではないでしょうか。

みなさんには、この东京大学で学ぶ时间を自由に使いながら、それぞれの「原点」が持つ重要性を再発见し、自らの独创的な「座标轴」を磨きあげていただきたい。そして、これまでにない新しい「原点」を引き受ける勇気を持ってほしいと思います。

みなさん一人ひとりの好奇心と想像力と情热が、これからの世界に新たな「知」をもたらす源(みなもと)、まさに水が涌き出る「原点」となることを、心から期待しています。

あらためて入学、まことにおめでとうございます。

令和8年4月13日
东京大学総长
藤井 辉夫

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