令和7年度 東京大学卒業式 総長告辞
令和7年度 東京大学卒業式 総長告辞
みなさん、卒业おめでとうございます。
本日、この安田讲堂で卒业式を迎えられたみなさんに、本学の教职员を代表して、心よりお庆び申し上げます。また、みなさんの大学での学びを支えてこられたご家族や関係者の方々に、感谢とともに祝意をお伝えいたします。
みなさんが、これから进む道はそれぞれに异なり、活跃していく场もさまざまだろうと思います。しかし、どこで生きていくことになっても、东京大学でともに学んだ仲间たちと竞い、また助けあいつつ研究を进めた経験は、ときに直面するかもしれない试练や困难の克服にきっと役立つにちがいない、と私は信じています。
今日は、みなさんの未来を构想する指针となるかもしれない、一つの问いについて考えてみようと思います。その问いは、私たちは次の世代のために「どのような社会を筑いていくべきなのか」です。それはまた、「どんな人生が望ましいのか」という、みなさん自身の理想や目标を问うことでもあります。
この问いに正面から答えるには、どんなことが必要なのでしょうか。
世界では今、かつてない深刻さにおいて、対立が激化し、分断が深まっています。
さまざまな国で、自分たちだけの利得を重视する自国第一の主张が强まり、戦后の国际连合のもとにつくられた国际秩序维持の枠组みだけでは十分に対応できない、不确実な时代に私たちは入りこみつつあります。
こうした対立や分断の极限形态が「戦争」でしょう。现代の戦争は、ウクライナや中东などで今も続いている、銃や无人机をつかった武力衝突だけではありません。サイバー攻撃や、偽の情报、食料やエネルギーの不足など、さまざまな形で人びとの日常生活がおびやかされ、その影响は経済の混乱や难民问题などをつうじて、世界全体を巻きこんでいます。
平和で自由で公正な秩序を、どう创りあげることができるのか。
21世紀の国際関係は、主権国家を単位とする制度として完結するものではなく、多様な组织?集団が複雑にからみあう多層的?複合的なシステムです。「敵か味方か」の単純な二分法で割り切ってしまうと、可能だったかもしれない対話が難しくなり、理解を拒んだままの分断が深まるでしょう。
そうしたなかで、私たちはどのように、新たな社会のあり方を构想し、共に生きる道を切り拓くことができるのでしょうか。
私は、现代の错综する课题に向きあうためには、一つの见方にとらわれず、ものごとを多角的にとらえ、新たな可能性をつくりあげることが大切だと考えています。ビジネスの现场では、「鸟の目」「虫の目」「鱼(さかな)の目」といわれるような、复数の视点をもつことが重要だといわれています。
「鸟の目」は、视点を引き上げ、「世界を俯瞰すること」を可能にしてくれます。私たちは、ともすれば、自分の立场や所属、価値観の内侧だけから世界を解釈し、理解しようとしてしまいます。しかし、次元の违うところから见わたすと、别の可能性が见えてきます。
飛行機が実用化されつつあった時代に、フランスの作家サン=テグジュペリは、『人間の大地』という著作の中で、戦争について「なぜ憎みあうのか? 同じ惑星によって運ばれ、同じ船の乗組員としての責任を分かちもつわれわれは、運命をともにしている」と語りました。飛行士でもあった彼は、空から大地を見わたし、人間が地上で引いた国境線が、自然の風景の中には存在しないことにあらためて気づき、対立している相手もまた、同じ地球に生きる存在であることを感じたのでしょう。
视点を引き上げて俯瞰すれば、础か叠かという二者択一ではなく、その间にあるグラデーションや、中间的で折り合えそうな选択肢が见えてきます。さらに、「础であると同时に叠でもある」という矛盾を抱えたままの共存、すなわち本学出身の哲学者?西田几多郎が「絶対矛盾的自己同一」とよんだ见方も可能になります。违いや矛盾を排除せず共に生きる道を探ろうとするなら、异なる次元から考える「鸟の目」が、不可欠になるでしょう。
2月に、本学の卒业生でもある加藤登紀子さんが、ジョン?レノンの「イマジン」に敬意を捧げるチャリティコンサートを、この安田講堂で開催しました。あの歌も、半世紀前のサン=テグジュペリと同じ主題を歌詞にしています。
ジョン?レノンの歌のほうは、飞行机に乗らなくても、想像力すなわちイマジネーションの翼さえあれば、「鸟の目」で见ることができるのだということを、あらためて教えてくれています。
もちろん「鸟の目」だけでは充分ではありません。対立のただなかに生きる人びとの気持ちや事情に向きあいながら、それらをより大きな関係の中に位置づけ直すためには、「虫の目」をもって寄りそうことも必要になってくるでしょう。
ここでいう「虫の目」とは、具体的な现场において、対象に実际に近づき、细かく详しく観察し、自分の体で実感することです。「虫」とは、地にしっかりと足をつけて、自分で歩むことの比喩です。
「鸟の目」による文字通りの鸟瞰によれば、ものごとの概要を抽象化して理解することができますが、実际の现场に身を置き、他者の现実に触れる経験も大切です。つまり「虫の目」の体験があればこそ、违いそのものに向きあいながら理解を深めていく対话が可能になります。
ドイツの哲学者ヘーゲルは、対话をつうじて新しい见方を生みだす方法として、弁証法を体系化しました。一つの主张、すなわち「テーゼ」に対して、异なる主张である「アンチテーゼ」が现れたとき、どちらかを否定して终わるのではなく、ねばりづよく対话を続けることで双方を包みこみながら、「ジンテーゼ」という第叁の新たな视点へと発展させます。
その第一歩は、「良い闻き手」になることです。相手の言叶を尊重し、その背后にある経験や価値観を、同じ「虫の目」で想像しながら耳を倾ける姿势が欠かせません。
「良い话し手」になることも対话継続の不可欠の条件でしょう。「良い话し手」には、相手を言い负かす力ではなく、自分の思いや考えを论理的かつ诚実に伝える力が必要です。
そして、対话は一度きりの交流で完结するものではありません。
违いを确认しながら理解を重ねていく、往復のプロセスとして続いていきます。こうした対话を重ねる中でこそ、俯瞰的な思考が育まれていきます。弁証法的な対话は、対立を乗りこえ、分断を修復するための実践的な「知の技法」なのです。
さらに视野を広げると、この考え方は私たちの等身大の自然でもある、体の仕组みにも通じるものがあります。昨年のノーベル赏受赏で注目された免疫系の罢细胞には、外敌に立ち向かう働きをもつものと、その反応が过剰にならないように抑えるものとがあります。それらのバランスによって、健康とよぶべき平和が保たれているわけです。
さて、叁つ目の「鱼(さかな)の目」とは、どんな视点なのでしょうか。
鱼が海の中の潮の流れを読むように、过去、现在、未来と流れていく时间轴を入れた视点のことを指すことが多いようです。最初に述べた「次の世代のためにどのような社会を筑いていくべきなのか」を考えるためには、时间轴を考虑した视点が必要です。
その见つめる先には、地球温暖化やパンデミックの胁威への対策など、地球规模课题への取り组みがあります。
私は、みなさんにこうした复数の目をもって、自分たちを支えている环境を自覚的にとらえ、いま深刻化しつつある対立を乗りこえ、分断を修復する想像力をもっていただきたいと考えています。
近年、社会の各方面において、ダイバーシティ&インクルージョン(顿&补尘辫;滨)が重视されています。しかし、多様性を认めて包摂するという理念が、実际にはマイノリティにマジョリティへの同化を强いる结果にとどまっていることもあります。たとえば、男女平等の雇用制度を一律に适用しても、すでに社会的に确立してしまった出产や育児などに伴う负担が均等でなければ、结局のところ女性が不利になります。これなどは、海の中の潮の流れそれ自体を、変えなければならない一例でもあります。
そこで重要になるのが「エクイティ(公平性)」の论点です。エクイティとは、形式的な平等ではなく、一人ひとりの条件の违いを认め、その差を埋めて、それぞれが自分の力を発挥できるように支援することです。たとえば、同じ高さの踏み台を全员に配るのではなく、背の低い人には高い踏み台を、背の高い人には踏み台は不要だと判断し、谁もが自由に参加できる状态をつくる。现在は顿&补尘辫;滨にエクイティの「贰」を加えた顿贰滨が重视されています。
顿贰滨の考え方は、障害をめぐる课题にも通じます。本学先端科学技术研究センターのフェローで、日本科学未来馆馆长の浅川智恵子さんは、视覚障害者向けの音声ブラウザや础滨スーツケースを开発し、视覚障害者の情报アクセスや移动への支援に取り组んでいます。
今から約60年前の1963年、本学の茅誠司 総長は、卒業式で「小さな親切」の重要性について触れ、「勇気を持ってやっていただきたい」と、卒业生に述べました。大学での学びとは、知識をただ増やして蓄えることではなく、他者と共有して、行動として表すことではじめて生きるという思いが、この言葉には込められています。浅川さんもまた「必要なのは大きな変革ではなく、少しの工夫だ」と語っています。
分断の时代を生きるみなさんには、この精神をさらに进めて、「小さな対话」を、勇気を持って积み重ねてほしいと思います。
東京大学では、2027年の創立150周年に向けて、「響く」と「存在する」という二つの言葉を合わせた「響存」をテーマに掲げています。多様な存在がただ並ぶのではなく、互いに影響しあいながら共に生きる、そのような组织や社会が望ましいと考えているからです。
小さな対话から生まれる共感や実感もまた、互いに响きあい、やがて共有され、社会の中で意味を持ちはじめます。それらは、制度やルール、経済の仕组みを见なおし、つくり変えていくための重要な手がかりとなります。
人びとが共に助けあうことを基盘とする「共助资本主义の実现に向けた大学连合(厂翱尝痴贰!)」も、その具体的な取り组みの一つかもしれません。そこでは、公司、社会活动、公共に携わる人びとが、小さな対话を重ねながら、社会课题を解决することそのものが経済的な成长にもつながっていくような新しい仕组みを模索しています。
共助资本主义のような取り组みにおいては、信頼がなによりも大切になります。しかし、本学に対する信頼は、まことに残念ながら、昨年来报道されている不祥事によって大きく损なわれてしまいました。私は総长として、未然に防げなかった事态を重く受け止め、みなさんにご心配をおかけしたことをあらためてお诧びいたします。同様の事案が再び起こることのないよう、大学としてのガバナンスの仕组みを、ここでお话ししたような复数の视点を活かして作りあげていきます。
未来に残すべき社会は、理念や哲学だけで筑かれるものではありません。だからこそ、想像力の翼をはばたかせて、社会の望ましいあり方や価値について语ることを、あきらめてはなりません。小さな声であっても、その対话がつながり、互いに响きあうことで、社会を少しずつ変えていきます。それこそが、対立と分断の时代における「创造的地球市民」としての生き方です。みなさんにはぜひ、その担い手として、しっかりと地に足をつけ、自らの歩みを进めていってほしい、そう愿っています。
ご卒业、まことにおめでとうございます。
令和8年3月25日
東京大学総長 藤井 輝夫
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