
书籍名
大日本史料 第叁编之叁十
判型など
562ページ、础5判
言语
日本语
発行年月日
2020年9月30日
ISBN コード
978-4-13-090130-7
出版社
东京大学出版会
出版社鲍搁尝
学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)
英语版ページ指定
史料编纂所で125年にわたり刊行している史料集『大日本史料』については、過去の記事をご参照いただき、そのうち「年末雑载」についても第五編 (鎌倉時代) で紹介がある。第三編 (1086~1185) は平安後期、いわゆる院政期を扱い、本冊の概要は下記リンク先の『所報』に記した。『大日本史料』では、日付順に出来事を簡略に記述した綱文を立て、その典拠となる原史料を列挙する暦年の部分が中心である。さらに各年の末尾には、雑載と称して、綱文の下に収まらない史料をおおまかな分野ごとに掲載する。
晩年の柳田國男は、『大日本史料』の雑載にはおもしろい史料があると、若い研究者に読むことを奨めていたという (小岛瓔礼『中世の村への旅』アーツアンドクラフツ、2020年、15页)。『定本柳田国男集』の索引から『大日本史料』に言及のある箇所を当たると、ほとんどは纲文の立つ记事に引かれた史料だが、出来事の主たる内容からは周辺的な箇所に着目しており、民俗学的な视点から、史料が备える可能性を掘り起こしている。
先ごろ保安三年 (1122) 雑載に収めた史料では、和泉国日根郡近木郷の大塚地蔵堂における法華八講 (法華経を講讃する法会) の縁起が興味を惹く (444~448頁)。この地蔵堂は貝塚市地蔵堂町の正福寺 (もと将軍寺) へと受け継がれ、一説に熊野街道 (熊野古道) の鞍持王子の地ともされ、大塚は近接する前方後円墳 (墳丘長約70m) の丸山古墳であろう。本史料によれば、ある老僧の遺財である草庵を移して湯屋となし、街道を往来する者へも施した。やがて伽藍を建立し、地蔵菩薩を造像して、保安三年に供養した。その後、寺近くの村の男が瀕死の病となって見た夢に、冥途で獄卒たちに追われて北方へ逃げていたところ、長居と天王寺との間で車に乗った貴僧に救われ、その名を問うと近木の地蔵堂の住僧という。夢から覚めてそれを周囲に告げると、人々はますます信仰を深め、毎年正月二十四日に、広く結縁を募って現世?来世の幸福を祈る法華八講を営むようになった。地獄からの蘇り譚の一種で、地蔵菩薩の利益を説く物語を通して、仏法が在地へと浸透する様相を伝えている。
この记事は、関连史料を含めるとある程度の分量となり、纲文を立てることもできるが、第叁编の时代性や既刊册に照らすとやや个别的で、同等程度の事象を细かに立项すると取り留めもなくなる。暦年を补完する雑载を必要とする所以である。暦年?雑载を问わず、编纂者侧の意図を吟味しつつ、各々の関心から読解?利用も可能なところに史料集の意义がある。なお当该史料の写真画像は、国立歴史民俗博物馆の「馆蔵中世古文书データベース」から参照できる。
(紹介文執筆者: 史料编纂所 教授 藤原 重雄 / 2025)
本の目次
鸟羽天皇 保安叁年
五月
五日、円宗寺御八讲、
八日、左近卫骑射、
中宫〈藤原璋子〉御产御祈トシテ、寛助ヲシテ、童子経ヲ书写供养セシム、
十四日、法皇、白河善胜寺ノ怪蛇ヲ勘申セシメ给フ、
中宫〈藤原璋子〉御产御祈ノタメ、天台座主寛庆ヲシテ、七仏薬师法ヲ修セシム、又、寛助ヲシテ、大北斗法ヲ修セシム、
十七日、関白藤原忠通第二度上表、
廿一日、轩廊御卜、
廿五日、最胜讲、
廿七日、能登守正五位下藤原基頼卒ス、
(中略)
年末雑载
暦/天文/神社/仏寺/诸家/生死/学芸/题跋/荘园/诸职/充行/免除/処分/去渡/売买、
补遗
正月
十叁日、女叙位ノ条、
十五日、已讲湛秀寂スル条、
廿叁日 県召除目ノ条、
(下略)
関连情报
书籍绍介:
「出版報告」 (『東京大学史料编纂所報』第55号、p.44-46 2020年)
関连リンク:
糖心破解版 BiblioPlaza 『大日本史料』第五編之三十七
/biblioplaza/ja/H_00199.html
国立歴史民俗博物馆「馆蔵中世古文书データベース」

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